202510「感謝」

2025年10月1日

朝晩過ごしやすい風を感じるようになり、鮮魚売り場には秋刀魚を見かけるようになり、夜長を楽しめるようになりましたね(笑)

10月なにかと実りの多い秋になるように努めてまいります

9月6日父にお迎えがきました(享年92歳)大往生でした

父は「ザ・昭和の頑固おやじ」東京京橋で「火消」の組長(祖父)に生まれました。ちゃきちゃきの江戸っ子。ただ私の祖父は40歳過ぎたところで、亡くなったらしく苦労したようです 火消は文字通り火災を消し止めるなどですが(白木屋火事にも出動 東急百貨店日本橋店 現コレド日本橋)平時には庶民から頼りにされ、喧嘩の仲裁、祭りごと、冠婚葬祭、地域の相談役などの役割だったそうです。

日本で初めて喫茶店をやったなんて言ってた(嘘か誠かわかりません…が)

そんな父は、なんと銀行員(日本開発銀行 現日本政策投資銀行)を定年退職 不器用で無口で頑固で思ったことはストレートに口に出し、兄と違って私は鉄拳制裁で育てられました 兄は立派に東京都公務員 父は私にジェットコースターみたいな人生だと言っていましたね(汗)

そんな父のようにはなりたくないと、反対のことばかりやっていたような・・・気がつけば少し似てきたような(知らず知らずに背中を見てたからかな)

父とまともに会話するようになったのは、70歳すぎたころからだろうか

「生まれてこなければよかった」なんて思ったことも幾度もあったり、それでも最後には自然に「育ててくれてありがとう」って親父に言えた

親子関係は何が正解か不正解かは人それぞれだし、正解なんてないのかもしれない

いろいろありすぎるくらいの経験をしてきたけれど、最後にはやっぱり「感謝」してる

安らかに眠ってくれ親父殿